99
「糖分が足りてない」
ある日の帰りのHR。それが彼女の最初の言葉だったと俺は記憶している。
片桐富美子。クラスでは少し浮いた……いや、かなり浮いた女子生徒だった。
無口で、威圧的。成績はよく、運動神経も抜群。かなりの美人で、狙ってる野郎どももかなりいるようだが、友人や恋人がいる様子もなく、いつも教室の隅で携帯ゲームをいじっていた。普通ここは文庫本だろうと突っ込みたい気持ちも分かるが、携帯ゲームなんだ。大戦略とか三国志大戦とかそういうので、最近はギレンの野望をやっているらしい。後ろの席だからたまに除き見るのだが、アムロのガンダムを敵に回すと強すぎじゃね?
ともあれそんなことはどうでもいいんだ。彼女のもう一つの特徴といえばいつもチョコレートを食べているということ。とにかく彼女のポケットにはいつも入っているらしく、少なくとも一日二回は食べているところを目撃する。
そんな彼女が始めて自ら話しかけてきたのだ。
「え?」
「だから君には糖分が足りてないんだ。だから頭の回転も悪い」
突然失礼すぎやしないかこの女。
「何が言いたいんだよ」
「私なら軽く20連鎖のすえ全消しして見せるぞ」
どうやら俺が携帯電話でやっていたゲームを見ていたらしい。しかもなんか自慢された。
「そうか、何なら対戦するか?」
実を言えば俺自身も彼女を狙ってた野郎の一人なのである。性格を気にしなければかなりの美人だからな。まあいまいち交流がないから性格も分からないのだが、さておき。これをチャンスにフラグを立てようと考える不埒な俺。
「いいだろう。ただし私が勝ったらチョコレートを買ってもらう」
「安い要求だな……じゃあ、俺が勝ったらそのチョコレートをもらう」
かくして、一つの携帯電話を二人で握るという体勢での対戦が始まった。額を付き合わせての真剣勝負。ああ、顔が近い。正直に言おう。少し幸せだ。
「げ!」
はじまって早々に積みまくり、その直後には12連鎖というわけの分からない妙技を決められてしまった! 容赦なく降って来るおじゃまぷよ! 画面の三分の二埋まってるのにまだ待機してるのか、勝てるわけねえだろ!
「ではコンビニに行こうか」
「了解しました……」
格が違いすぎた。
よくネットなんかで見る神プレイとかやらかす女だこいつは。ゲーセンとかでものすごいプレイを行い、ギャラリーを集めるに違いない。
ん、待てよ? コンビニに行こうということはつまり、一緒に帰ろうということか?
チョコレート万歳!
「500円」
「大きさの割りに高くねえかそれ?」
とはいえ大した値段ではない。憧れの片桐のために払う金額と考えれば安いものだ。
「そうだな。少し高いかもしれん。十個いりだから一つやるぞ」
わーい。あの片桐にチョコレートをもらったぞ。よく考えろよ俺。彼女の大好きなチョコ(自己判断)を分け与えてもらえたということは、それなりに見込みありってことじゃないか?
まあいい。ここはじっくりとこのチョコを味わうことに……
「んが!」
「どうした、奇妙な声を出して」
「が……うぇ、何これ?! 苦ッ!」
「チョコレートだが、何か問題があるのか?」
チョコレートって……え? こんな泥みたいなのがか!? 俺の記憶が確かなら、チョコレートってのはもっと甘くて、虫歯の原因なんてひどいレッテル張られてるお菓子じゃなかったか? この苦さは虫歯菌も逃げ出しかねんぞ!
「苦ッ! 苦い!! 苦ー!!」
「肌の黒い人に言ったら殺されるようなことを言っているな」
「んなことどうでもいい! 何だこれ!」
「ビター99パーセントカカオ」
これが噂のあれなのか! 初めて食ったよ!
「よ…よくこんなの食えるな……」
「何を言う。チョコレートは質量あたりの発熱量が高く、カロリー摂取が容易なため軍隊から登山にまで携帯が可能な非常食なんだぞ」
「いやでもこれは……」
ほら、必ず甘い物と一緒にお食べくださいとかチョコレートにあるまじきフレーズが書いてあるし。
「それにチョコレートの甘みは、非常時に心を安らがせる効果があるんだぞ」
「甘くねえよこれ! こんなもん食ったら興奮しすぎて冷静な判断迫られてる時にポカやらかしかねねえよ!」
「だから冷静な判断をするために糖分が必要なんじゃないか」
「糖分入ってるのかこれ?!」
「……糖分を取りすぎると太るだろう?」
「さっき質量あたりのカロリーが高いとか言ってなかったか?」
どうでもいいけどカロリーゼロのコーラとかあるけど、あれって糖分が入ってないわけじゃねえよな。どうなんだ?
「小さいことにこだわってると結婚してやらないぞ?」
「え、あ、いや……」
頼むから不意打ちでそういうこと言わないでくれ。冗談でも。
ああ、冷静になろう。うん……にがッ!
「よく苦くないな」
「別に苦くはない」
「コーヒーとかもめちゃくちゃ濃いエスプレッソをマグカップで飲んでそうだな」
「コーヒーは苦いだろ。あれは飲み物じゃない」
まったく意味がわからねえ。
まあとにかく俺は口直しだ。
「牛乳と抹茶チョコでいいや」
「わたしがあげたチョコレートはどうするんだ?」
「食うよもちろん」
片桐がくれたんだから無駄にはできない。
「……なにしてるんだ?」
口を大きく開けてこちらを見ている。
「あーん」
これはあれか? このチョコがいらないのなら放り込めということか?
ためしにその口へ食いかけのチョコを運んでみる。
はぐ。
釣れた。
「どうでもいいがまだ食っていいとは言ってないぞ?」
「……」
あ、離れた。
「それを食べたら間接接吻だぞ?」
「いや、片桐が食いついた時点で間接バッチ成立してるし」
「……図ったな」
図ってない。だが今のは少しうれしかった。残ったチョコは……おいしくいただきましょう。
うげ! にが! 間接チューとかそんな甘いこと言ってる場合じゃねえよ!
牛乳うめー。
「って、まだなんかあるのか?」
「いや、抹茶チョコというのは苦くないのか?」
何なんだこの子は……
「カカオの木というのは何処へ行ったら手に入るだろうか?」
また突然だ。
昼休み。ここ最近抹茶ロールパンとブラックコーヒーがパターンになってる。
ふふふ。このメニューの意味が分かるのは俺と片桐だけだ。
「ええっと、ガーナかな?」
「その考えは早計だな。ガーナチョコというのは確かに有名だが、現在世界でカカオを最も多く生産しているのはコートジボワールなんだぞ」
「俺、日本史選択してるから世界地理はよくわからねえんだが……植物園とか行けば見られるんじゃないか?」
「見てどうする。食べなきゃ意味ないだろう」
さいですか。
どうでもいいがこの人はカカオ豆を無加工で食う気なのか。チョコレートの作り方だが、まずカカオの実から果肉と豆を分離し、発酵させる。この発酵でカカオの渋さやえぐさやがとられ、チョコレート特有の香りが生まれる。
このあと乾燥させたり焙煎したりとあるのだが、多分彼女はこの段階で満足なんだろう。
「なあ、片桐は甘いチョコって平気なのか?」
「いや、甘くないチョコなんてないだろう」
いやいやいや、片桐の食ってるあれはまったく甘くないだろ。少なくともスウィーツとは呼べない。絶対な。
「て言うより甘くないチョコがないんなら、抹茶チョコにも挑戦してみたらどうだ?」
話題を作るためにとりあえずかばんに入れておいた抹茶チョコを差し出してみる。こんなに早く話題づくりに貢献してくれるとは思わなかったぞ。
「もし苦かったら?」
「いや、そんな甘えるように斜め下から見上げられると困るから。大丈夫だって俺を信じろ」
けっこうビビリなんだな。いつもの何事にも動じない姿からは想像つかんぞ。
「もし苦かったらお前の口に注入してやるからな」
それは口移しってやつか?! 間接チューから一気にマウス・トゥ・マウスか。くそう抹茶チョコめ! 何でお前はそんなに甘いんだ!
「いくぞ……」
「いけよ」
そうして緑色のパウダーがまぶされた抹茶チョコが彼女の口に放り込まれた。
「………………」
「………………」
「もう1個」
だめだったか!
いや待て! あれならあるいは!
「次は缶コーヒーに挑戦してみないか? ファイアの白なんて風味だけだぞ」
といいつつ取り出したのはブラック無糖。
あ、いやそうな顔してる。
「君はそんなにわたしとベーゼをかましたいのか?」
バレた。
「ふ、残ったチョコは箱ごと君に上げよう」
「逃げたな。だがそいつはいただいておこう」
どうやら片桐はチョコなら何でもいいらしい。ただビター99がお気に入りというだけで。
あと俺が逃げるのも仕方ないと言ってほしい。ここ教室だぜ?
「今日は私の誕生日なんだ」
「また唐突だな」
もっと事前に知っておきたかったなそれ。最近は結構よく話してるわけだし、チャンスはいくらでもあったはずだ。
でもいいんだ。彼女が誕生日を祝って欲しいと思ってる友達はどうやら俺だけらしいからな。自惚れるなって? 今日片桐は俺以外と会話してないから間違いないぜ。
「ギブミープレゼント」
「最悪の発音だな……」
成績がいいからって発音までいいとは限らない。
「まあいいや、参考までに何が欲しい?」
「私は大人だからな。適度に心がこもっていればなんでも構わないぞ」
「じゃあホワイトチョコを……」
「死ね! お前は一度死んだほうがいい! ホワイトチョコをチョコと呼ぶだと? 冗談も大概にしろ。カカオゼロパーセントのアレがチョコであるものか! あんなものホワイトチョコではなく、ホワイトだ!」
「落ち着け。冗談だ」
カカオフェチの彼女だったらアレはどうなのかなあとも思ったが、まさに予想通りの反応。ホワイトってなんだよ。修正か?
「わかった。そういう予想の遥か下方を滑空されては敵わん。具体的には……」
「そうかー、いらないのかカカオの実」
「なん……だと……!?」
「結構苦労して手に入れたんだけど」
「いやまて! そ、そうだな。どうしてもというのならもらってやらんことも無いぞ。うむ、お前がどうしてもというから仕方なくだな」
なんだ、これは一種のツンデレか? まあいいや。片桐が喜ぶだろうなと思って、ついかっちまったもんなんだが、こんなところで改心の一撃に発展するとは思わなかった。
「それで、どこにあるのだ? 家か? それならば今すぐ行こうではないか。ご両親にも挨拶せねば」
なんか意味不明だけど悪い気はしない発言だな。しかし、いつものクール振りからは創造もできないほどドキドキワクワクテカテカしている。
「いやでも、もうすぐ授業が」
「お前に意見など求めていない」
案の定、一時間目の担当教師が現れた。一時間目は現文。
「どうした片桐、早く席に―――」
「どうしても我慢できないので一時間目は欠席します」
「は?」
そうして、俺の腕を強引に引っ張りながら彼女は教室を出た。
俺たちが出た直後、教室は悲鳴やら何やらに包まれる。なぜって? 女が男の腕を引き我慢できなくなったなどと言ったのだ。思春期で何を聞いてもえろい発想に持っていく年代である。まあつまりそういうことだろ。
誤解が解けなかったら停学どころか退学だぞ。
「親は仕事でいないんだが」
「そうか、それは残念だ」
清く正しい男女交際なら、今の告白はもう少し重く受け止められていただろうし、重く受け取ってほしい。まあ、相手が片桐じゃ期待もしてなかったが。
「それで、例の品はどこだ?」
まあ座って待てと言いたいところだが、今の片桐にそれは無理というものだろう。
玄関に置いたままだったダンボールから、木製のラグビーボールを連想させる巨大な木の実を取り出した。
「これが、あの夢にまで見た」
「そこまで感動するほどのものか?」
「お前この感動が理解できないというのか?」
「正直ガキでもそこまでの感動はしないと」
「いいだろう。お前にこの感動がどれほどのものだか教えてやる」
完全にカカオ豆デレだった彼女の目つきがいきなりいつものものに戻る。いやでもしかしちょっとやそっとで今彼女の味わっている感動がわかるわけ―――
「な!?」
「んむ」
唇に、唇に何か。何か唇に!
「どうだ? これがわたしの感動だ。わたしのファーストキスをありがたく反芻するがよい」
もはやうなずくしかない。ああ、さすが俺の惚れた女。やることなすこと俺のハートに直撃しまくり。俺もう彼女に逆らえねえっす。
「ところで、ここからどうやってチョコにするのだ?」